名作発見

洋画★シネフィル・イマジカでは、ひとつひとつの映画への想いをたいせつにしています。 「たとえば、こんな名作。」ここでは、わたしたちスタッフから、コラムでご紹介していきます。

「ドクトル・マブゼ」

(1922/フリッツ・ラング監督/ドイツ)

(c)2002 BY MIRAMAX FILM CORP. AND PARAMOUNT PICTURES CORPORATION

フリッツ・ラング監督『ドクトル・マブゼ』は「第1部 大賭博師・時代の肖像」と「第2部 地獄・現代人のゲーム」の2部構成。上映時間273分の大作で、しかもサイレント作品。ご覧になるのを躊躇される方もいるかもしれません。しかしこの作品は戦前の、正確に言えば第一次大戦と第二次大戦の戦間期の、それもドイツという国で成立したサイレント映画全盛期の金字塔であるという意味で、映画に関心を抱くすべての人々にとって大きな注目に値する作品であると言って言い過ぎではないでしょう。

この時代のヨーロッパは、ダダイズムからシュルリアリズムという20世紀の美術史・文学史を塗り替えた革新的な運動が巻き起こった時代であり、そのような時代精神に呼応した動きが、ドイツではドイツ表現主義という独特の前衛的表現を生みだします。その影響は絵画・建築・文学・写真など広い表現領域におよびますが、なかでも映画に与えた影響は大きなものがありました。『ドクトル・マブゼ』に2年先立ち、1920年に公開されたローベルト・ヴィーネ監督の『カリガリ博士』は、ドイツ表現主義映画の中でもっとも早く現れた傑作として今も映画史の一画に燦然と輝いています。ドイツ山間部で起こった連続殺人事件を扱ったこの作品では、歪んだ床や壁、路地などに囲まれたセットと誇張された俳優の演技、デフォルメされたメイキャップなど、ドイツ表現主義映画のボキャブラリーがほぼ出そろっています。

オーストリア出身のフリッツ・ラングはドイツ大手の映画会社ウーファのプロデューサーの目にとまって映画界入りし、1919年『Halbblut』で監督デビュー。本作をはじめ『メトロポリス』(27)、『M』(31)など、当時の妻であったテア・フォン・ハルボウとの共同脚本作品によって、サイレント末期からトーキー初期の時代に大活躍しました。本作はドイツだけでなく、日本を含む同時代の世界中で大ヒットしました。この時期、映画はハリウッドだけのものではなく、ドイツもまたその輝ける中心地のひとつだったのです。

本作『ドクトル・マブゼ』はしかし、第二次大戦以後の時代の変遷の中で、あまり画質のよくないプリントでしか上映されませんでしたが、2000年にベルリン、ミュンヘン、ヴィスバーデンの映画アーカイブの共同作業によって修復され、今回、洋画★シネフィル・イマジカをご覧の皆さまに、公開当時の美しいプリントでお送りすることができるようになりました。映画技法としては多重露光、オーバーラップ、アイリス・イン/アウトなど、当時の最先端の技術が駆使され、ドイツ・サイレント映画黄金期の雰囲気を居ながらにして満喫していただけるでしょう。

フリッツ・ラング監督と言えば『メトロポリス』(27)があまりにも有名ですが、100年後の、想像上のディストピア未来社会を描いたこの作品がSF映画黎明期の傑作であるとすれば『ドクトル・マブゼ』は、ご覧になればお分かりの通り、かなり複雑な心理サスペンス劇として、その語り口はリアリズムに徹しています。これだけ複雑な人間心理の綾を台詞のないサイレント映画として展開させようとすれば、長時間作品となってしまうことは免れない運命とでも言うべきかもしれません。カットを積み重ねていく監督の粘りには、驚嘆の念を抱かずにはいられません。
高名な精神科医という表の顔を持つマブゼ博士が、実は催眠術を駆使する極悪非道の悪の化身であるという設定は時代がかっているように見えますが、その正体を暴くフォン・ヴェンク検事との息詰まる戦いは、現代にまで通じるサスペンス映画の醍醐味の、まさに原型と呼ぶにふさわしいでしょう。

そしてここに描かれ、暴かれる犯罪社会の様相は、20年代から30年代にかけてのドイツを覆っていた不安の影を色濃く受けている事実も見逃すことはできないでしょう。第一次大戦の敗戦国として極度のインフレと不安定な政治体制に蝕まれていたドイツ社会。人々の抱いていた未来に対する漠然とした不安感が、ここに描かれている享楽的なキャバレー文化や交霊術などに見られる上流層の異常な好奇心の発露として現れていると言えるかもしれません。ドイツ表現主義とは、そのような一時期のドイツという文化を背景にして生まれた表現形式だったのです。

やがてドイツはヒトラーによるナチスの時代になだれ込み、ユダヤ系であったフリッツ・ラングはフランス経由でアメリカに亡命します。ナチスの協力者となっていった、脚本家としてコンビを組んでいた妻のテア・フォン・ハルボウとは離婚し、ラングはその後ハリウッドで犯罪映画を中心としたプログラム・ピクチャーを作り続けることになります。『ドクトル・マブゼ』は20〜30年代のドイツという時代に制作された、まさに映画の奇跡と言ってもいい作品なのです。

洋画★シネフィル・イマジカ 編成プロデューサー 市川陽

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・2007年12月6日「地獄の黙示録 特別完全版」