『モンティ・パイソン宣言』
2008年2月。洋画★シネフィル・イマジカは高らかに厳かに、かつまた陽気に、『モンティ・パイソン宣言』を発します。
とはまたずいぶんと大仰な、とお思いの方もいらっしゃるでしょう。でも私たちは真面目です。真面目に、今こそ「モンティ・パイソン」の精神に学ぶべきだと考えているのです。考えているだけではなく、敢然と実行します。2月からの洋画★シネフィル・イマジカの編成表をご覧ください。「元祖モンティ・パイソン」と名付けられた番組の数々が、世界の名画と並んで編成されていることにお気づきになるでしょう。
いや、いきなりで恐縮でした。一からご説明しましょう。「モンティ・パイソン」を端からご存じの方は以下数行、読み飛ばしてください。
「モンティ・パイソン」(原題:Monty Paithon Flying Circus)は1969年から75年にかけてイギリスの公共放送BBCから放送された30分のコメディ番組。全45話が制作されました。スパム・メールの語源となった“SPAMだらけの食堂”、“死んだオウム”、“シリー・ウォーク(バカ歩き)”など後世に語り継がれるスケッチと呼ばれるコントを並べ、その間をアニメや音楽で繋いでいく構成が斬新でした。警察官や医師、会計士や弁護士といった世の中の権威とされている存在をコテンパンにやっつけ、シェイクスピアなどのイギリスの神聖な古典を徹底的にパロディにする、当時としてはそうとうに危ないギャグが大当たりを取り、よくぞこれをBBCが放送したもんだと大変な話題になりました。これを作り、演じているグループの名前が「モンティ・パイソン」。あろうことかイギリスの名門、ケンブリッジ大学とオックスフォード大学のコメディ・サークル出身者たちでした。ここから数々のスピンオフ映画が生まれ、メンバーたちは様々なユニットを組んで世の中を楽しく騒がせ、その余波は80年代、90年代を通じ、現代までおよんでいます。影響を与えたクリエイター、芸人は洋の東西を問わず、枚挙にいとまがありません。
日本語版も作られ、「チャンネル泥棒!快感ギャグ番組!空飛ぶモンティ・パイソン」と題され、1976年から東京12チャンネル(現:テレビ東京)で、1時間番組として放送されました。山田安雄、納谷悟朗、青野武、広川太一郎、飯塚昭三、古川登志夫ら当時の人気声優たちの吹き替えが人気を呼びました。「・・・なあんて言っちゃったりなんかしちゃったりして」や「このお、ちょんちょん!」なあんていう台詞が、PTAから厳しく批判されたりなんかしちゃったりしました。
ちなみに「モンティ・パイソン」というグループ名の由来には諸説ありますが、第二次大戦のイギリスの英雄モンゴメリー元帥の愛称にして「おかま」の隠語(モンティ)と、男性自身の隠語であるパイソン(大蛇)を掛け合わせた、というのが一般的な解釈。パイソンには恐竜という意味もあると、かつての日本語版を制作したプロデューサーは申しております。
さて本題です。
洋画★シネフィル・イマジカは、「モンティ・パイソン」の卓抜なユーモア精神、健全な批評精神にオマージュを捧げます。そして「元祖モンティ・パイソン」を私たちの重要なコンテンツとして、自信を持って編成しています。洋画★シネフィル・イマジカは映画を愛する、名画専門チャンネルです。ここで上映される作品はすべて洋画★シネフィル・イマジカのスタッフが心をこめてあなたに贈るコメントと共にお送りしています。「元祖モンティ・パイソン」はそれらの名画とまったく同じ精神で編成されています。真面目に、真剣に、ギャグ番組を「名画」としてお届けしたいのです。
嫌なことがたくさん溢れる世の中です。「元祖モンティ・パイソン」が制作された40年前のイギリスも同じだったことでしょう。そんなろくでもない世の中を前にして、この番組の制作スタッフ(みんな若かった!)たちは決して絶望したりなんかせずに、めいっぱいのギャグをかませ、視聴者を大笑いさせることで自分たちを表現しています、などと言ったらヤボの骨頂になっちゃったりしますが、今見ると、そうとでも言わないと納まらない「情熱」と言ってさらにヤボならば、限りない「熱さ」が、「元祖モンティ・パイソン」には漲っています。
見てください。笑ってください。もうほんとうに笑い転がっちゃってください。音楽も素敵です。洋画★シネフィル・イマジカが保証します。
以上、20世紀前衛芸術がここから始まったと言っても過言ではない「ダダイズム宣言」がベルリンで採択された1918年から数えて90年という重要な節目を迎えた今年(なんの節目なの?)、洋画★シネフィル・イマジカは高らかに厳かに、かつまた陽気に、『モンティ・パイソン宣言』を発します。
なぜ「元祖」なのか
『モンティ・パイソン宣言』をお読みいただいた方、洋画★シネフィル・イマジカのコンテンツ紹介としてはほとんど情報性のない一文を読んでいただき、まことにありがとうございました。さて、いよいよ情報です。なぜ『宣言』と文を分けたかと言えば、いっぺんに言うとちょっとややこしくなるからで、別に意地悪をしているわけではありません。
いったい洋画★シネフィル・イマジカがお送りする「元祖モンティ・パイソン」とはそもそも何なのか。『宣言』で触れたのは主に1969年から75年にかけて制作され、BBCから放送された“Monty Python Flying Circus(日本語版タイトル「空飛ぶモンティ・パイソン」”についてでした。そしてこの番組を作り、演じているグループの名称が「モンティ・パイソン」だったことまではご説明しました。今、洋画★シネフィル・イマジカがお送りしている「元祖モンティ・パイソン」は、このテレビ・シリーズではありません。山田康雄さんや広川太一郎さんの軽妙な吹き替えが入っていないと言って怒らないでください。だってそもそも違う番組なんですから。
話は1967年に遡ります。
この年、イギリスはロンドンの地方民放局からふたつのコメディ番組が放送され、大変な人気を呼びました。番組名は“At Last 1948 Show(以下、“1948”)”と“Do Not Adjust Your Set(以下、“Adjust”)”。
“1948”はケンブリッジ大学コメディ・サークル出身のジョン・クリーズ、グレアム・チャップマンが中心となり、ティム・ブローク=タイラー、マーティン・フェルドマンたちと共にコントを繰り広げました。ジョン・クリーズの毒のあるキャラクターと相俟って、辛辣かつ痛烈な社会風刺を得意とする番組でした。
“Adjust”はオックスフォード大学コメディ・サークル出身のテリー・ジョーンズ、マイケル・ペイリン、それにエリック・アイドル(彼はケンブリッジ大卒、ほらややこしい)が、人気俳優デヴィッド・ジェイスン、実力派舞台女優デニス・コフィと繰り広げるスケッチに、英国ロック界の異才、ニール・イネス率いる「ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンド」の演奏が入る構成。こちらは子供番組として夕方の放送だったそうですが、これを見るために会社を早退して早々とウチに帰ってしまうお父さんが続出し、ロンドンの会社は大いに困ったそうです。こちらは笑いと、とてもオシャレな音楽センスでも評判を呼びました。
今回お送りしているのは、このふたつの番組です。「元祖モンティ・パイソン」とはその総称として、洋画★シネフィル・イマジカが付けた題名で、どうしてそうしたかというと、“1948”を作っていたジョン・クリーズとグレアム・チャップマンが“Adjust”の放送を見ながら笑い転げていたとか。そのジョン・クリーズが“Adjust”に参加していたマイケル・ペイリンに声をかけたのが直接のきっかけとなって誕生したのがオックス=ブリッジ合体による地上最強のコメディ集団、モンティ・パイソンだったというわけです。つまりこのふたつのコメディ番組は、番組それ自体が“Monty Paithon Flying Circus”の生みの親となったわけです。これはもうモンティ・パイソンの元祖だということで「元祖モンティ・パイソン」。この2番組が放送されていた当時はまだ「モンティ・パイソン」というグループは名前も実体も存在していなかったのですが、世の中には強引な方が分かりやすいこともあるじゃないですか。
さてそのうえで、それぞれの番組のタイトルをどうするか。
番組宣伝のスポットに登場されているピーター・バラカンさんは生粋のロンドン子。当時“Flying Circus”はもちろん、その前身であるこの2番組もリアルタイムで見ていたという貴重な存在です。そのバラカンさんが番組の当事者に直接聞いたところによれば、“At Last 1948 Show”というタイトルにはなんの意味もないそうです。みんなで集まって思いついたフレーズを強引に並べただけとか。これも強引さの勝利ですね。対して“Do Not Adjust Your Set”の方は多少意味がありそうですね。洋画★シネフィル・イマジカの放送では「チャンネルはそのままで」と字幕が付いていますが、バラカンさん曰く「それでもいいんだけど、ちょっと違うニュアンスもあってね」と。これも説明しだすとややこしいのですが、かつてのモノクロ放送だったテレビには(ああ、今の今まで肝心なことを言い忘れていましたが、この番組は両方ともモノクロです。あなたのテレビが故障したわけではありません。そういう時代だったんです)、「垂直同期」と「水平同期」というふたつのダイアルが付いておりました。これをうっかりいじると画面が縦に流れたり、横にズレてしまいますから、どこの家庭でも子供は絶対に触ってはいけないダイアルとされていました(ホントに?)。番組冒頭と途中で“Do Not Adjust Your Set”という文字が画面に写るのですが、これがよくヒン曲がっていたり、横になっています。それはわざとやっているのであって、調節しようとして上記のダイアルを「いじったりしないでください」という意味なのだそうです。イギリスの人に聞かなければ分からないややこしさです。
そんなややこしい、あるいはまったく意味のないタイトルを直訳したって仕方ないし、意味もありません。要するに区別がつけばいいんだろうと開き直り、“1948”を「抱腹編」、“Adjust”の方を「絶倒編」と、洋画★シネフィル・イマジカはここでも強引さこそ親切さというものだという論理でつっ走ったわけです。洋画★シネフィル・イマジカがお送りする「元祖モンティ・パイソン、抱腹編・絶倒編」とは以上のような番組です。ね? 結構ややこしいでしょう。
というわけで、番組の見どころについてはまた稿をあらためて触れることにします。
※「空飛ぶモンティパイソン」の日本語版吹き替えでも伝説的名演を残した広川太一郎さんが逝去されました。
つつしんでご冥福をお祈り申し上げます。
1967年
さて、「元祖モンティ・パイソン」。「抱腹編」がロンドンの独立民放局TV Rediffusionから放送されたのは、第一期が1967年2月15日から3月22日、第二期が同じく67年の9月26日から11月7日まででした。また「絶倒編」の放送は67年11月26日から69年5月14日。洋画★シネフィル・イマジカはその中から放送用マスター・テープが残っている番組をお送りしています。ちなみに「空飛ぶモンティ・パイソン(Monty Python's Flying Circus)」の放送が始まったのは69年の10月5日ですから、イギリスの、いや世界のコメディを塗り替えた伝説の番組がスタートする、そのまさに直前に、「元祖モンティ・パイソン」は放送されていたことが分かります。
さて、1967年。今からほぼ40年前です。それはいったいどんな時代だったのでしょう。
世界と、そして日本ではどんなことが起きていた時代だったのか。年表からアトランダムに引用してみれば・・・。
2月、アメリカ軍がベトナム戦争で枯葉作戦を開始。ベトナムの戦禍が世界を覆っていた時代でした。6月、第三次中東戦争が勃発。イスラエルがエジプト、シリア、ヨルダンに対して奇襲作戦をかけ、広大な占領地を獲得。6月、中国が初の水爆実験。7月、アメリカのデトロイトで大規模黒人暴動が起こり、38人が死亡。日本では2月に第二次佐藤内閣が発足。7年8ヶ月という長い間総理大臣を務めた佐藤栄作という人が、その頃いたのです。4月、東京都知事選挙で美濃部亮吉が当選、革新知事ブームが起こりました。2月11日には初の「建国記念の日」が実施され、各地で抗議行動が起きました。10月と11月には佐藤首相の一連の訪問外交に反対して起こった2次にわたる羽田闘争が勃発。60年安保闘争以来最大の流血デモに。11月、自民党の田中角栄、橋本登美三郎ら政治家がTBSの社長・報道局長を呼び出し、TBSの報道番組「ハノイ、田英夫の証言」を批判。報道に対する言論弾圧だという世論が起きました。
いやいや、なかなかハードな年だったことが分かります。人びとの不安や不満がすっかり内向化してしまった現在とはかなり様相が異なる社会でした。今では考えられないほど、日本も世界も、社会全体に強い緊張感が漂っていた、と考えていただいていいと思います。
「笑いは緊張の緩和である」という亡き桂枝雀師匠の名言を借りるならば、「空飛ぶモンティ・パイソン(Monty Python's Flying Circus)」として結実するイギリス発のコメディのニュー・ウェーブが登場するにはまことにふさわしい時代でした、と強引に持ってゆくのはどうかという声もありましょうが、今から考えれば、時代が新しい笑いを求めていたということは確かだったはずです。
1967年の話題をもう少し。
7月、タカラから「リカちゃん人形」が発売開始。10月、イギリスからミニ・スカートの妖精ツイギーが来日。4月、寺山修司主宰の「天井桟敷」が旗揚げ公演。7月、唐十郎の「状況劇場」が新宿・花園神社境内で初のテント興行。「アングラ」「ハプニング」が流行語となり、10月、ニッポン放送で「オールナイト・ニッポン」が始まり、ラジオの深夜放送がブームになりました。映画では「俺達に明日はない」「卒業」などが話題に。「ハノイ、田英夫の証言」で物議を呼んだTBSでは一方で、トッポ・ジージョが跳ね回り、モンキーズが明るく歌うショーが放送されていました。歌謡界ではグループ・サウンズが絶頂期を迎え、「ブルー・シャトウ(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)」「モナリザの微笑(ザ・タイガース)」「朝まで待てない(ザ・モップス)」などがヒット・チャートを賑わせ、ザ・フォーク・クルセーダーズの「帰ってきたヨッパライ」が話題を呼んだのもこの年です。そうそう、「フォークの女神」ジョーン・バエズがこの年に来日し、コンサートの日本人司会者が彼女のベトナム反戦を巡る発言を意図的に通訳しなかったことに非難の声があがりました。
さて、以上述べてきたことはすべてその通りなのですが、1967年の出来事としてまず筆頭に挙げなければならないと筆者が信じていることがあります。それは、この年の6月1日、イギリスでビートルズの「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」がリリースされたことです。これは単にビートルズの8枚目のオリジナル・アルバムというだけでなく、世界のロック・シーンを根本のところから塗り替えた画期的なアルバムでした。イギリスのコメデイ史において「Pre-Python(パイソン放送以前ー1969年以前)」「On-Python(パイソン放送当時ー1969〜74年」「Post-Python(パイソン放送以後ー1975年以降)」という言い方がされるということですが、ロック・シーンもまた「サージャント・ペパーズ」以前と以後ではその位相をまったく変えました。このアルバムの凄さについて今さら語る必要もないと思いますが、ここでひと言だけ言いたいのは、このアルバムでロックが「流行歌」であることを突き抜け、ジャケットのビジュアル展開も含めて「アート」へと大きく接近したことです。6月1日というアルバムの発売日を冒頭に記した「元祖モンティ・パイソン」の「抱腹編」の放送日と重ねてみてください。まさにその直前と直後の時期の放送だったことが分かるはずです。エリック・アイドルの資質とボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンドの活躍でより音楽色を強めた「絶倒編」に至っては世界中が「サージャント・ペパーズ」の興奮に酔いしれている時期に放送が開始されています。
「サージャント・ペパーズ」は架空のバンドのショーという設定で、当時の最新録音技術を駆使した、非常にコンセプチャルなアルバムでした。モンティ・パイソン・グループのスケッチもアドリブやその場のノリで思いついたギャグではなく、メンバーによって綿密に構成された台本が元になっています。彼らはコンセプチャルな道を辿ることによってギャグを「お笑い」から「アート」の領域にまで持ちこんだと言ってもいいのではないか。それほどスウィンギング・ロンドンの同時性には目を見張るものがあります。ジョン・レノンの、「今度生まれ変わったら、ビートルズではなくてモンティ・パイソンの一員になりたい」という発言のほんとうの意味は、もちろんビートルズの否定ではなく、同時代の同じ街で、別のやり方で同じようなことを企てている彼らへの、最大級のオマージュだったはずです。
「元祖モンティ・パイソン」が作られ、放送されていたのは、こういう時代でした。
(2008.05.12更新)
今回は『元祖モンティ・パイソン』で大活躍のメンバーたちをご紹介しましょう。
まずは「抱腹編」の面々から。
前回更新分のテキストはこちらからどうぞ
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ジョン・クリーズ
1939年生まれ。ケンブリッジ大学でコメディ・サークル「ケンブリッジ・フットライツ」に所属。サークルの大先輩でもある英国喜劇界・放送界の大立者デヴィッド・フロストに声をかけられ、「抱腹編」に参加。「空飛ぶモンティ・パイソン」では“シリー・ウォーク”など、その長身を生かした大ヒット・スケッチを執筆・演じる。映画「ワンダとダイヤと優しい奴ら」(1988)では主演・脚本を務め、アカデミー賞脚本賞にノミネートされた。「007」シリーズや、「チャーリーズ・エンジェル/フルスロットル」、「ハリー・ポッターと秘密の部屋」などに出演しているので、見覚えのある方も多いかも。「空飛ぶモンティ・パイソン」での吹替えは納谷悟朗氏、近石真介氏が担当。 |
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グレアム・チャップマン
1941年生まれ。クリーズと同じくコメディ・サークル「ケンブリッジ・フットライツ」に所属。ケンブリッジ大学では医学専攻で医師免許も取得したとか。「空飛ぶモンティ・パイソン」終了後は、ゲイであることを公表し、講演・執筆活動なども行っていたが、アルコール依存が深刻となり、1989年に喉頭がんで死去。しかしその後行われたパイソンズのイベントに、骨壷の中の遺灰(!)として出演している。「空飛ぶモンティ・パイソン」での吹替えは故・山田康雄氏が担当。 |
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ティム・ブローク=タイラー
1940年生まれ。クリーズ、チャップマンらと同じく、コメディ・サークル「ケンブリッジ・フットライツ」に所属していた。還暦を過ぎた現在も英国のTVで活躍している。 |
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マーティ・フェルドマン
1933年生まれ。コメディアンとして舞台中心に活躍し、「抱腹編」でTVデビュー。その後もインパクトあるルックスを生かして、BBCで単独の番組に出演、さらにハリウッドでメル・ブルックス監督の「ヤング・フランケンシュタイン」(1974)などに出演し、人気を博すが、1982年映画の撮影中に心臓発作で急死した。 |
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エイミー・マクドナルド
「可愛いエイミー、素敵なエイミー」は1942年生まれ。1960年代〜70年代に数々のコメディで活躍するが、2001年もコメディ番組に出演したとか。さぞキュートなおばちゃまだったろう。 |
お次は「絶倒編」の面々を。
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テリー・ジョーンズ
“テリーJ”(テリー・ギリアムと区別するためにテリーJと呼ばれる)は1942年生まれ。オックスフォード大学出身。映像制作に手腕を発揮し、パイソンズの長編映画3本の監督を務めている(「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」はテリー・ギリアムとの共同監督)。「モンティ・パイソン/人生狂想曲」(1983・日本劇場未公開)は監督としてカンヌで審査員特別賞を受賞した。関根勤も出演した「エリック・ザ・バイキング/バルハラへの航海」(1989)のようなナンセンス歴史コメディも、興味を持った方はチェックしてほしい。その他大学で中世史を専攻していたためか、歴史をモティーフにした出版活動や、ドキュメンタリーの制作なども多い。「空飛ぶモンティ・パイソン」での吹替えは飯塚昭三氏。 |
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マイケル・ペイリン
1943年生まれ。テリーJと同じくオックスフォード大学出身。テリー・ギリアム監督の「未来世紀ブラジル」(1985)、ジョン・クリーズ脚本の「ワンダとダイヤと優しい奴ら」(1988)などに出演。本国では旅行番組のトラベラーとして有名で、BBCの紀行番組「Around the World in 80 Days」では来日し、東京のカプセルホテルにチャレンジしている。「空飛ぶモンティ・パイソン」での吹替えは青野武氏。 |
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エリック・アイドル
1943年生まれ。ケンブリッジ大学でコメディ・サークル「ケンブリッジ・フットライツ」に所属。彼の持ち味はなんといっても卓抜した音楽センスで、ニール・イネスらと組んだビートルズのパロディ・グループ「ザ・ラトルズ」を結成、ビートルズの伝記映画のパロディ作品「The Rutles: All You Need Is Cash」(1978・日本劇場未公開・テレビ映画、DVDあり)を制作してしまうほど。フォークランド戦争で被弾し、沈没する英駆逐艦の乗組員が甲板で歌い、サッカー・イングランド代表のサポーターが敗戦を喫したときに歌った、いわばイギリスの第二の国歌(?)として知られる「Always Look on the Bright Side of Life」の作曲者であると聞けば誰もが納得するだろう。この曲はもちろんモンティ・パイソンの映画「モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン」(1979)のラストに流れる曲である。「空飛ぶモンティ・パイソン」での吹替えは故・広川太一郎氏。 |
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デヴィッド・ジェイソン
1940年生まれ。英国の長寿ドラマに出演する人気俳優で、その功績を称えて貴族の称号を授与された。刑事ドラマ「フロスト警部」シリーズなどで、わが国でもおなじみの人も多いのでは。 |
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デニス・コフィ
1936年生まれ。スコットランドの首都エジンバラの舞台で活躍後、ロンドンに拠点を移す。「絶倒編」ではスコットランド訛りの威勢のいいお姉ちゃんのイメージが印象的だが、現在でもまだ英国のTVで活躍中とか。 |
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ニール・イネス
1944年生まれ。ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンドを率いて活躍するかたわら、ビートルズのTV映画「マジカル・ミステリー・ツアー」にも出演する。パイソンズとのかかわりは深く、“七人目のパイソン”と言われることもある。特にエリック・アイドルとの協同は、1975年に「The Rutland Weekend Television」という番組に発展する。この番組にアメリカNBC「サタデーナイト・ライブ」のプロデューサーが目をつけ、ビートルズの伝記映画のパロディ作品「The Rutles: All You Need Is Cash」(1978・日本劇場未公開・テレビ映画、DVDあり)が制作された。2007年秋にはボンゾ・ドッグ…の2枚のアルバムがわが国でも再発売された(「ゴリラ」「ボンゾの歴史」)ので、興味のある方はこちらもチェックしてみては。一方、2002年11月29日に行われた「コンサート・フォー・ジョージ」(ジョージ・ハリソン一周忌追悼コンサート)にはニールと懐かしのパイソンズが登場。「空飛ぶモンティ・パイソン」の名曲「木こりの歌」(The Lumberjack Song)を披露、満場の喝采を浴びた。「絶倒編」ではキーボードを担当。異色の、あるいは驚異のヴォーカリストはヴィヴィアン・スタンシャル。 |
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(ご参考までに)テリー・ギリアム
『元祖モンティ・パイソン』ではお目にかかれない“テリーG”は、1940年アメリカ生まれ。唯一のアメリカ出身パイソンズ。'60年代半ばにイギリスに渡り、アニメーターとして活動を始める。「空飛ぶモンティ・パイソン」で「リンク」と呼ばれる、スケッチとスケッチをつなぐ独特のアニメーションを担当するが、その原型は、ジョン・クリーズに紹介され参加した「絶倒編」に既に見られたという。(残念ながら現存する素材には残っていない)「空飛ぶモンティ・パイソン」にももちろん出演もしており、吹替えは古川登志夫氏が担当。突出した映像センスで知られ、「未来世紀ブラジル」(1985)、「バロン」(1988)、「12モンキーズ」(1996)、「ラスベガスをやっつけろ」(1998)など、映画監督としての活躍には枚挙に暇が無い。その失敗作を追った異例のドキュメンタリー「ロスト・イン・ラ・マンチャ」では、彼のクリエイターとしての苦闘を知ることができる。 |
ということで、彼らの活躍は洋画★シネフィル・イマジカでお楽しみください。
前回更新分のテキストはこちらからどうぞ
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